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女が悪いか、男が流されやすいか…禁断の愛が生み出した平安初期の危機「薬子の変」

女が悪いか、男が流されやすいか…禁断の愛が生み出した平安初期の危機「薬子の変」:2ページ目

藤原薬子としては面白くない!

ここで面白くないのは藤原薬子です。自身の愛する人が天皇でなくなり、平安京を去ってしまっているからです。元々譲位に反対していたこともあり、薬子は兄の藤原仲成とともに重祚(ちょうそ:退位した君主が再び君主になること)するよう上皇にすすめます。

薬子の変が起きる

平城上皇側の力が強くなったことにより、嵯峨天皇側もそれを危惧するようになっていきます。平城上皇は以前の都・平城京にいて、平安京にいる嵯峨天皇との「二所朝廷(にしょちょうてい)」状態に。

そして、810年(弘仁元年)、薬子にそそのかされ、平城上皇は平城京への遷都を宣言してしまいます。平城上皇は嵯峨天皇により平城京が封鎖されてしまったため、挙兵。

嵯峨天皇側は、坂上田村麻呂をはじめとする兵を送ります。平城上皇らは勝ち目がないと気付き、諦めて平城京へ戻ります。

その後、薬子は追放され、最後は服毒自殺をしたと言われています。また、平城上皇は剃髪し、余生を過ごしたと言われています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

 

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