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『現地へ行ってみた』宋にいきたかった源実朝が造ったという船ゆかりの地を歩いてみた【鎌倉殿の13人】

『現地へ行ってみた』宋にいきたかった源実朝が造ったという船ゆかりの地を歩いてみた【鎌倉殿の13人】:2ページ目

この地域にある山は、「御幣山」ともいわれ、後北条の時代には、玉縄城の支城として「御幣砦(城)」が増築されました。戦国時代には、武田信玄によって奪われたこともあります。

今回たまたまお参りに伺った際、偶然居合わせたご近所の方に「お参りありがとうございます」とお声がけをいただいたので、さっそくお話を聞いてみました。その方によると、新型ウィルス禍以前のお正月には、こちらの神社でも地域の方々が初詣されて甘酒などが振舞われていたそうです。現代でも地域の人たちにとって大切なお宮様だということがわかります。

船玉神社から西に10mほど歩き、右手側の山に登る階段をのぼると、藤沢で1番古い稲荷社といわれている藤稲荷大明神があります。藤稲荷大明神は、藤沢の地名の由来ともいわれているほど、地元では由緒あるお稲荷様です。

お社の横には、公団建設で集められた墓石や石仏が集められていたようです。ところが、現在ではかなり整理されてしまいました。森家のお墓もそのなかにあると聞いていましたが、残念ながら見つけることが出来ませんでした。

ご近所の方からお話を聞いたところ「昔はあっぱれ日本男児と彫られている墓があったのだけど、あれは何だったんだろう?」とおしゃっていました。

引き続き、鎌倉周辺を歩きます。

参考

ふじさわ宿交流館

 

 

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