「電報」を使ったことはある?今も特別感がある通信手段の歴史をさぐる:2ページ目
通信網の整備、そして関東大震災
そした、1875年(明治8)年には北海道から鹿児島まで電信線が整備され、全国各地の多くの市民にとって利用しやすい連絡手段として普及していきました。
その後、1922年(大正11)年にはそれまで手書きで対応していた電報にタイプライターが使用されるようになりました。タイプライターで打った電報は紙に直接印字されるため、書き損じなどの間違いも減り電信技術が効率化され、さらに利便性が高まったのです。
電報の歴史を語るうえで欠かせないのが、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の無料被災電報の受付実施です。震災5日後には受付を開始し、遠方の家族・親族に対して無事を伝えることができる手段として、多くの被災者が電報を利用しました。
1930(昭和5)年には写真電報の取り扱いが始まり、その後年賀電報や慶弔電報といったサービスが開始され、電報は身近な情報伝達手段になっていきます。
当時は緊急時に電報で連絡するが一般的でしたが、文字数によって金額が決められていたため、料金を低く抑えるために必要最低限の文字数で伝える独特の文体が形成されました。有名なものでは、「チチキトクスクカエレ」などがあります。