雷、粟、岩…バリエーション豊富な日本最古のお菓子「おこし」の歴史を辿る【前編】:2ページ目
神前にも捧げられた
他にも『延喜式』でには神前に供えたと記録されており、『古今著聞集』には公卿の藤原忠通が正月に口にしたとあります。
当時、おこしは「おこしごめ」と呼ばれており、平安貴族にも珍重されていました。口元にあてて握り砕いたところで、衣の上にぱらぱらとふりかかったのを払う様子が優雅だと言われていたようです(やや理解に苦しみますが)。
そして江戸時代初期の料理書『料理物語』や、百科事典『和漢三才図会』には糒・おこしの製法が記されています。この頃になると穀物と水飴などが調達できれば庶民でも作れるようになり、各地でおこしが作られ、庶民的なお菓子へと変わっていきました。
その中でも特に有名なのが、大阪の「粟おこし」や「岩おこし」、江戸の「雷おこし」です。