雷、粟、岩…バリエーション豊富な日本最古のお菓子「おこし」の歴史を辿る【前編】:3ページ目
「栗おこし」の誕生
大阪では「粟おこし」が大阪名物として知られるようになりますが、1752(宝暦2)年に創業した「つのせ」により現在の粟おこしの形態が確立されたと言われています。
それまでのおこしは原材料に粟や稗を使っており、形状も手で握ったつくねのような形や、竹筒に入れた形状をしていました。
「つのせ」初代清兵衛は、原材料に米を用い、その米をあえて細かく砕いて粟のような形状にして板状に延ばしたものを「粟おこし」と銘打って大々的に販売し始めたのです。
当時の大坂は天下の台所であり、良質な米が全国各地から多く集まっていました。清兵衛はこれに目を付けたのです。一見粟粒のようで、実は米を使っているという斬新なアイデアが人気を呼び、砂糖の消費量が瀬戸内で随一となるほど売れました。
参考資料