「鎌倉殿の13人」畠山重忠を始末した時政・りく夫婦。しかし…第36回「武士の鑑」予習:2ページ目
間一髪!義時が実朝を救出
……七月廿日に時正(時政)の家へ請じ、湯殿にて失ひ奉らんとしけるを二位殿竊(ひそか)に聞食て式部蒸義時(時政嫡子)を召て懸る。不思議有と聞るはいかに計ひ給うぞと仰ければ、義時急馳向て見奉るにはや湯殿へ入り給はんとしけるを、懐奉て御所へ入奉けり。
※『保暦間記』重忠被誅より
【意訳】7月20日に時政の館へお招きし、入浴中にてヤっちまおうと計画していたのを政子が(どういうルートからか)聞いてしまい、義時(式部丞。ここでは時政の嫡男になっている)に相談。
「まったく考えられません。どうしたらいいでしょうか」
義時はただちに時政邸へ急行、すると実朝がちょうど湯殿へ入ろうとしていた。
「危なーい!」
とばかり間一髪で押しとどめた義時は、実朝を抱きかかえるようにして御所へと連れ戻したのであった。
……湯殿で入浴中に暗殺するのは、祖父の源義朝(よしとも)・兄の源頼家(演:金子大地)と一緒ですね。もしかしたら、源氏の皆様はお風呂が鬼門?なのかも知れません。
また政子が「陰謀を聞いてしまった」という設定は比企能員の変(建仁3・1203年9月2日)のまんまですね(『吾妻鏡』による。大河ドラマではアレンジ)。どうも彼女は「大事なことを聞いてしまう」体質のようです。
政子が陰謀を知ったのは恐らく7月20日の当日だったのでしょう。本当に危ないところでしたね。
……将軍こは何事ぞと宣へば二位殿しかじかの事申させ給ふ。さては義時とても心免べからずと仰られけるに、義時事の由を申述たり。さらば時政を討て進ぜよと有ければ尤に候、子細候わじとて則討て候と云て伊豆国の奥山なる所に押籠め牧女房をも同国へ流さるると聞へしが其行ヱいかが成たりけん。
※『保暦間記』重忠被誅より
【意訳】実朝がこれは何事かと尋ねれば、政子と義時は時政らによる暗殺陰謀を伝えた。実朝が時政を討つよう命じたところ、義時は「ごもっともにございます。言うまでもございません。ただちに討って参ります」と言いながら、時政夫婦を伊豆の奥山へ幽閉。その後、彼らの行方はどうなったのであろうか。
実朝は時政を討つよう命じたところ、義時はこれを受けて時政らを伊豆の山中に幽閉。その後は行方知れず……ちゃんと殺したのか、あるいは匿ったのか。いずれにしても、時政夫婦は歴史の表舞台を去ったのでした。