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「鎌倉殿の13人」畠山重忠を始末した時政・りく夫婦。しかし…第36回「武士の鑑」予習

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エピローグ

以上、時政夫婦による実朝暗殺計画「牧氏の変」を紹介してきました。

濡れ衣によって武士の鑑と謳われた畠山重忠が喪われ、義時はいよいよ「鎌倉のためを思うなら、本当に戦うべき」相手に向き合わざるを得なくなります。

ちなみに『吾妻鏡』によると、鎌倉を追放された時政はそのまま伊豆で10年ほど過ごして建保3年(1215年)1月6日に病死しました。

霽。伊豆國飛脚參。申云。去六日戌尅。入道遠江守從五位下平朝臣〔年七十八〕於北條郡卒去。日來煩腫物給云々。

※『吾妻鏡』建保3年(1215年)1月8日条

【意訳】晴れ。伊豆からきた飛脚が「1月6日の午後8:00ごろ、時政が北条の地で亡くなった。日ごろ腫物を患っていた」などと伝えた。

伊豆の小豪族から立身出世し、鎌倉幕府の執権として権勢を奮った一代の豪傑にしては、あまりにも寂しい最期だったのではないでしょうか。

でもまぁ、懐かしい故郷の地で愛する妻と一緒に過ごせたのだから、悪くない結末だったのかも知れません。

その一方、牧の方は娘婿の藤原国通(ふじわらの くにみち。朝雅の未亡人を再婚させた)をたよって上洛。京都で贅沢三昧な余生を過ごしたと言われています(とうぜん批判もされていますが、そんなもの気にする彼女ではないでしょう)。

劇中でもさんざん「京都に帰りたい」と言っていた願いが叶って何より何より……最初から最後まで自由な悪女ぶりでした。

果たしてNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では時政夫婦の失脚がどのようにアレンジされるのか、次週も見届けずにはいられませんね!

※参考文献:

 

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