日本最古の貨幣?「和同開珎(わどうかいちん)」よりも古い「富本銭(ふほんせん)」とは:2ページ目
うまく流通しなかった皇朝十二銭
ちなみに、日本で最初の通貨と言われている和同開珎の発行は、708年に武蔵国秩父郡で銅が産出されたことがきっかけです。これは当時としては大事件だったらしく、時の天皇は天皇はわざわざ「和同」と改元した上で和同開珎を発行しました。
実はこの時、和同開珎も、やはり唐の開元通宝を参考にして作られたと考えられています。それくらい、唐の貨幣経済というのは理想的なモデルだったのでしょう。
ちなみに開元通宝がどれくらい完成度が高かったかというと、唐がなくなり王朝が交代してからもその後300年間使われていたほどです。両・銭・分・厘という10分法の貨幣の単位もこの開元通宝が大本です。
なぜ開元通宝がそこまでうまく機能したのかは別の話となりますが、残念ながら、和同開珎の発行から始まる日本の貨幣経済は、なかなか上手くいきませんでした。
和同開珎の発行から約250年ものあいだ、日本ではさまざまな銭貨が作られています。その種類は12にのぼるとされ、これを皇朝十二銭と呼びます。
現代日本でも500円、100円、50円、10円に1円などの種類が作られているので、たくさん銭貨が作られたのは理に適っていると感じられるかも知れません。
しかし古代の日本で多くの銭貨が作られたのは、和同開珎の材料である銅や錫が不足したためでもありました。材料がないと今まで通りのものは作れないので、より質の悪いものを作るしかなかったのです。
また、民間で鋳造された私鋳銭という銭貨も問題でした。これは今で言う贋金に当たる非公式の銭貨ですが、当時はごく普通に流通しており、政府は思うように経済をコントロールできなかったのです。