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「鎌倉殿の13人」次の鎌倉殿はもちろん源頼家?それとも…第26回放送「悲しむ前に」予習

「鎌倉殿の13人」次の鎌倉殿はもちろん源頼家?それとも…第26回放送「悲しむ前に」予習

頼家じゃまだ若すぎる?それなら他の候補者たちは?

まず、頼朝が亡くなった建久10年(1199年)時点で鎌倉殿の後継候補者となり得る源氏男性をピックアップしてみましょう。

源頼家(頼朝の長男、寿永元・1182年生まれの18歳)
一幡(頼家の嫡男、建久9・1198年生まれの2歳)
千幡(後の源実朝。頼朝の次男、建久3・1192年生まれの8歳)
阿野全成(頼朝の異母弟で千幡の乳父。仁平3・1153年生まれの47歳)
阿野時元(全成と阿波局の嫡男。生年不詳だが確実に10代以下)

※厳密には他にもいますが割愛。あと、いきなり登場させるのも大河ドラマ的にはよろしくありません。

頼家は18歳。一応成人はしており、家督を継いでもおかしくない年齢ではあるものの、天下に号令する鎌倉殿としては若干の不安は否めません。となると、他の一幡・千幡・阿野時元は言うに及ばずでしょう。

であれば47歳の全成なら申し分ないかと言うと、彼は源氏の嫡流(自称)たる頼朝の異母弟。自身が鎌倉殿となるのは、頼朝の血統をこそ嫡流と考える周囲の反発が予想されます。

特に乳父として頼家を抱え込んでいる比企能員(演:佐藤二朗)などは、対立する北条時政(演:坂東彌十郎)の婿でもある全成を認めようとはしないでしょう。

頼家だけでは不安があり、全成だけだと不満が出る……となれば頼家を全成が後見することにより、比企と北条のパワーバランスを保つという選択肢が出てきそうです。

しかし、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』を見ても全成が政治的積極性を示した形跡はありません。

頼朝時代からそのスタイルで生き延びてきた彼ですが、単なる処世術(野心のカモフラージュ)ではなく、本心から権力欲がなかったものと考えられます。

特に活躍もしていなければ、これと言った失態もなく、生かしておいても無害と思われたのでしょう。

そんな全成はやがて権力抗争に巻き込まれた結果、非業の最期を迎えることになるのですが、それはもう少し先の話し。

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