執権の立場は重々承知…それでも弟の危機に駆けつけた「北条泰時」の兄弟愛【鎌倉殿の13人】
総大将たる者、前線で武功を競うような軽挙は厳に慎むべし。
今も昔も、立場が高まるほど責任も重大となり、自ら動くより人に命じることが多くなります。みだりに動いて、大局を見据える視点を失っては組織が動かなくなるからです。
しかし時には立場にとらわれず、何をおいても駆けつけねばならぬ場面も間々あるもの。
そこで今回は鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時(ほうじょう やすとき)のエピソードを紹介。
この予習は必須!【鎌倉殿の13人】北条泰時の生涯と実績をたどる。御成敗式目だけじゃないぞ:前編
この予習は必須!【鎌倉殿の13人】北条泰時の生涯と実績をたどる。御成敗式目だけじゃないぞ:後編
天下の名執権として知られた泰時が駆け出すとは、一体どんな事件が起こったのでしょうか。
弟・北条朝時の館に賊が乱入!
時は寛喜3年(1231年)9月27日、泰時の弟である北条朝時(ともとき)が住む名越館に賊が乱入しました。
「何、次郎(朝時)が……こうしてはおれぬ!」
第一報を耳にした泰時はいても立ってもいられず、評定(会議)の席を立つが早いか名越館へ急行します。
「ちょっ、お待ち下され!」
同席していた叔父の北条時房(ときふさ)らも慌てて同行。しかしその道中で朝時から使者がやって来ました。
「越後守(朝時)様はお出かけのため難を逃れ、留守居の者で賊どもを捕らえたため、ご心配には及びませぬ」
「左様か。大儀であった」
安堵した泰時は、念のために手勢の勇士を名越館へ向かわせ、自身は引き返したのでした。