こんな人生ツラすぎる…平清盛に捨てられ、娘も奪われた巫女・厳島内侍が土肥実平との結婚に至るまで:2ページ目
二度目の結婚・生まれて間もない娘と引き離される
「そなたの忠功に報いるべく、この美女を授けよう」
「身に余る御厚恩、ありがたき仕合せにございまする……が、こちらの御方はいささか身が重いのでは……?」
それもそのはず、このとき厳島内侍は清盛の子を妊娠中でした。どういう神経をしているのでしょうか、まったく偉い人のお考えというのは分からないものです。
「大丈夫、生まれた子供は引き取るから。そなたはそなたで遠慮なく子作りをせい」
「いや、そういう話では……」
果たして長寛2年(1164年)に女児が誕生。約束どおり清盛が引き取ったのですが、生まれてすぐに娘と引き離された厳島内侍の悲しみは察するに余りあります。
「あの、妻があまりに不憫なので、女児を返してやって欲しいのですが……」
「ならん。これは我が子なのだから、そっちはそっちで子作りすればよいではないか」
「いや、そういう話では……」
なんてやりとりがあったかはともかく、成長した女児は御子姫君(みこひめぎみ。冷泉局)と呼ばれ、後白河法皇(ごしらかわほうおう)と政略結婚させられました。
ちなみに御子姫君は母ゆずりの美女だったものの、清盛の意図を承知の後白河法皇から愛されるはずもありません。やがて結婚から間もない治承5年(1181年)に18歳で亡くなってしまいますが、それはまた別の話し。