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「鎌倉殿の13人」ついに頼朝追討の宣旨!?受けて立つ頼朝…第19回放送「果たせぬ凱旋」予習

「鎌倉殿の13人」ついに頼朝追討の宣旨!?受けて立つ頼朝…第19回放送「果たせぬ凱旋」予習

上等だ、受けて立つ……本腰を上げた頼朝

「そうか、土佐坊はしくじったか」

京都からの報告を受けた頼朝は、自身の追討宣旨が発せられたというのにどこ吹く風。

「あの叔父に寄生されて、九郎も気の毒な……まぁそんな事より、今は御堂供養の方が大事だ。抜かりなきようにな」

「ははあ」

御堂供養とは亡き父・源義朝(よしとも)の菩提を弔う勝長寿院(現存せず)の落慶法要のこと。10月24日に供養を終えると、さっそく侍所別当の和田義盛(演:横田栄司)と同所司の梶原景時に義経討伐の手配を命じました。

「明日、兵を出す。とりあえずすぐ行ける者をリストアップせよ」

「「ははあ」」

交名(きょうみょう。名簿)を出させたところ、千葉介常胤(演:岡本信人)はじめ2,096名が候補に挙がります。

その内すぐにでも出発できるものは小山朝政(演:中村敦)と弟の結城朝光(ゆうき ともみつ)以下58名。

「これだけで、大丈夫でしょうか?」

土佐坊昌俊が83騎(実際には60余騎)で討ち損じた義経に、58名で挑むのはちょっと不安。しかし、頼朝は動じません。

「心配するな。いま九郎の周りを取り巻いておるのは寄生虫(獅子身中の虫)行家をはじめ、そのほとんどがロクに戦さもせなんだ有象無象ばかり。平家討伐で九郎の軍略を実現せしめた御家人たちは、ことごとく鎌倉におるのだ」

「……確かに」

「九郎よ、そなたは確かに強い。だがな。戦さとは一人で勝てるものではないのだ……」

翌10月25日、先発隊が鎌倉を出発。道中、尾張と美濃両国(現:愛知県西部・岐阜県南部)の者たちに命じて足近(あぢか)と洲俣(すのまた)を封鎖させ、万が一にも義経らが東国へ攻め込まないよう備えさせます。

「九郎と行家の両名が京都におればすぐに討て。もしいなければ京都から離れず、本隊の到着を待つように……まぁ、戦にもなるまいが」

「「ははあ」」

そして10月29日、ついに頼朝本隊も鎌倉を出発。先陣は土肥実平、後陣を千葉介常胤が務め、相模国はじめ坂東じゅうの御家人たちを引き連れたと言います。

4ページ目 都落ちした義経、気がつけば主従5人だけ

 

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