女性天皇をたぶらかした悪僧・弓削道鏡。「日本三大悪人」のひとりとされた彼の悪評は捏造!?:2ページ目
「神託事件」の発生
さて769年、皇室で「宇佐八幡宮神託事件」が発生しました。道鏡の弟である弓削浄人(ゆげの・きよひと)と大宰府の主神である中臣習宜阿曽麻呂(なかとみのすげのあそまろ)が、「道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる」という神託を受けたと天皇に進言したのです。
この天皇は「称徳天皇」ですが、実際には孝謙天皇と同一人物です。再即位したことで呼び名が変わっていたのでした。
称徳天皇は、道鏡が天皇になるのなら喜ばしいと考えます。しかし、役人の中には反対する者が大勢いました。そのため、神託の真偽を確かめるために和気清麻呂(わけのきよまろ)という人物が宇佐八幡宮に派遣されます。
そして彼が受けた神託は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」というものでした。つまり、「天皇は皇族の血筋を持つ者が継いでゆくべきで、道鏡のような奴は一刻も早く追放せよ」というのです。
今の時代から見れば、当時の神託とやらはずいぶんいい加減だったんだな……という感じですが、ともあれこの神託により、道鏡が天皇になるという事態は避けられました。
これに怒った称徳天皇は、和気清麻呂に「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」という屈辱的な名前を与えて流罪にしてしまいます。
女帝・称徳天皇が和気清麻呂に下した「穢麻呂(きたなまろ)」という汚そうな名前への強制改名の刑罰
また、道鏡自身も和気清麻呂を暗殺しようと試みますが、突然雷や雨によって失敗に終わりました。
この事件の翌年に称徳天皇は病で崩御。同時に、道鏡の権威も失墜します。軍事指揮権は、太政官だった藤原永手(ふじわらのながて)や吉備真備(きびのまきび)の手に渡り、4名の親族が流刑となりました。
道鏡自身は、下野国の下野薬師寺別当に左遷となりそのまま死没。死後は一庶民として葬られたそうです。