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女性天皇をたぶらかした悪僧・弓削道鏡。「日本三大悪人」のひとりとされた彼の悪評は捏造!?

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悪評は藤原氏の捏造?

このように天皇を誑かした悪僧として知られている道鏡ですが、実は、このストーリーをきちんと記した具体的な記録は『続日本紀』以外には存在しません。

そして『続日本紀』は藤原氏と関係が深い史書で、道鏡と藤原氏は対立関係にありました。わざと道教を貶める書き方がなされた可能性もあります。

近年ではこうした「道鏡悪人説」に対する疑問の声も出ており、史料の再研究が行われています。

道鏡をめぐる『続日本紀』の記述で怪しいとされているのは、以下の内容です。

①道鏡が失脚した後も、なぜか和気清麻呂は昇進していない。
②道鏡は「左遷」はされているが、僧籍を離れて俗人に還ること(還俗)はしていない。皇位を奪おうとしたにしては処分が軽い。

ではなぜ、道鏡を貶めるような記述がなされたのか。その理由は、孝謙天皇(称徳天皇)を貶めるためだったのではないかと考えられます。

少し細かい話になりますが、有名な「大化の改新」以降、天皇家は「天智天皇系」「天武天皇系」の2つの派閥に分かれ、皇位を巡って対立していました。

実は、孝謙天皇(称徳天皇)は、このうち「天武天皇系」の最後の天皇で、その後はずっと「天智天皇系」の血筋が続いているのです。

つまり、後世の人々が「天武天皇系の天皇にはろくな人がいなかった」ということを強調するために、歴史を改竄した可能性もあると言えます。

さらに、最初に挙げた「日本三大悪人」に加えられたことで、道鏡の悪いイメージはさらに強調されてしまいました。この「日本三大悪人」は明治以降の皇国史観に基づいて考案されたもので、その基準は「自分が天皇になろうと企んだ人々」でした。

よって現代の視点から見れば、弓削道鏡って何か悪いことしたの? という感じでもあります。自分が天皇になろうとしたという点は足利尊氏や平将門も同じですが、この2人を「悪人」とする人は今はいないでしょう。

むしろ今「三大悪人」を設定するとしたら、島原の乱の元凶になった松倉父子など、領民に対して悪政を敷いた人物あたりになるのではないでしょうか。

歴史上の人物を評価する際は、実証主義的な観点もさることながら、今現在の私たちの価値観に自覚的になることも大切です。

 

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