女性天皇をたぶらかした悪僧・弓削道鏡。「日本三大悪人」のひとりとされた彼の悪評は捏造!?
天皇から頼りにされた弓削道鏡
「日本三大悪人」というカテゴリーを、皆さんはご存じでしょうか。
日本では、特に戦前まで、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)・平将門・足利尊氏が、日本史上屈指の悪人とされていたのです。
今では平将門や足利尊氏は「どこが悪人?」という感じですが、未だに悪いイメージが残っているのが、奈良時代に活躍した僧侶・弓削道鏡です。今回は彼の悪評を見直してみましょう。
弓削道鏡は、当時の孝謙天皇に取り入り、僧でありながら政治家として大きな権力を得たことで知られています。
道鏡は700年、現在の大阪府八尾にあたる河内国若江郡に生まれました。そして仏門に入り、法相宗の高僧の義淵(ぎえん)の弟子となります。
また東大寺を開いた高名な僧・良弁からサンスクリット語を学んでいたため、禅にも通じていました。こうしたことから、道鏡は宮中の仏殿に入ることを許されていたようです。
さて761年10月、平城宮を改修するために一時的に都を近江国保良宮に移していた時のことです。時の権力者・孝謙(こうけん)天皇は体調を崩してしまいました。ちなみに孝謙天皇は女性です。
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この時に、加持祈祷を行うなどして懸命に看病したのが道鏡でした。これがきっかけになったのか、この頃から孝謙天皇は道鏡を寵愛するようになります。