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美学、意識、絶対などの言葉を日常語に。日本哲学用語の父・井上哲次郎の功績とその思想的変遷

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その思想遍歴

彼の思想の変遷も興味深いものがあります。1884年にヨーロッパへ3年間留学した井上は、帰国後東京帝国大学の教授となり「体制寄り」の活躍をしています。

日本は天皇制を中心にした国家であるべきであると考えた井上は、教育勅語奉読式で天皇親筆の署名に対して最敬礼しなかった事件(内村鑑三不敬事件)を通じキリスト教を激しく非難しました。

天皇制を中心に考えれば、近代日本の教育方針として定められた「教育勅語」に従わないキリスト教の思想は受け入れられないものだったわけです。

ただし、時代の変化とともに井上の教育勅語への対処に戸惑いや揺らぎが出てきます。

井上は『国民道徳概論』 (1912年)において「日本固有の民族的精神」の大切さを説きつつも西洋の思想も取り入れる柔軟性を見せ始めました。

それもあってか1925年、著書の『我が国体と国民道徳』の中で「三種の神器のうち、鏡と剣は失われてしまい、現存するのは模造 である」と記したところ、この表現が国家主義者の癇に障ったらしく「不敬(無礼)」であるとの猛烈な批判を受けます。

井上はかつて内村鑑三に対して行なったような非難する側でなく、今度は「される側」の立場となってしまったのです。

『我が国体と国民道徳』は発禁処分となり、さらには公職も辞することとなります。

それでもくじけず、1944年に90歳で亡くなるまで快活に、喜んで哲学の研究・教育・普及に精進し続けました。

どうしても西田幾多郎や和辻哲郎などと比べると目立たないところがありますが、こういう学者もいたのです。

 

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