奥州藤原氏と源義経を繋いだ男!金商人にして武士でもあった金売吉次5:3ページ目
義経と奥州藤原氏が滅ぶ
文治3(1187)年には、頼朝ら鎌倉方は奥州に義経がいることを察知。同年には庇護者である藤原秀衡が病没し、義経は庇護者を失いました。
この瞬間、義経一行の命運は完全に尽きてしまいます。文治5(1189)年には、奥州藤原氏を継いだ藤原泰衡が鎌倉方の圧力に屈し、衣川館にいる義経一行を襲撃。自害に追い込んでいます。同年に鎌倉方は、奥州合戦を仕掛けて藤原氏が滅亡。金売吉次=堀景光が仕えた奥州藤原氏も、源義経もこの世から消えてしまいました。
参考文献
- 板野博行 『眠れないほど面白い吾妻鏡』 三笠書房 2021年
- 日本博学倶楽部 『源平合戦・あの人の「その後」 伝説・伝承にみる「それから」の人間模様』 PHP研究所 2004年
- 平谷美樹 「【特集】ササラ風土見聞録」 国土交通省東北整備局HP
- 「世界遺産登録候補地 長者ヶ原廃寺跡」 奥州市HP
- 「金売吉次兄弟の墓」 白河市HP