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戊辰戦争、なんで敗れたか意味不明…旧幕府軍の軍備は当時の最新鋭だった!?

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戊辰戦争時、旧幕府軍の軍備は最新鋭だった

皆さんはもちろん戊辰戦争はご存じですね。1868年に、旧幕府軍が新政府軍と京都で衝突した日本史上最大の内戦です。鳥羽・伏見を皮切りに日本各地へと飛び火し、両者が戦いを繰り広げました。

戊辰戦争では、最終的に旧幕府軍が敗れています。これは、新政府軍がいち早く近代的な軍備を整えたからで、古臭い幕府軍は勝てなかったのだ、と一般的には捉えられています。

ところが、当時の幕府軍の軍備は、私たちが想像する以上に新しかったのです。1862年に行われた「文久の改革」では軍制改革が実施され、幕府は「幕府陸軍」を設置したり、西洋式兵制を導入したり44隻の艦船を外国から購入したりしていました。

さらに、フランスの軍事顧問団を招いてフランス式の伝習を行ったり、当時最新鋭のボルトアクション式であるシャスポー銃一万挺丁などを輸入しています。

また、有名な長州の奇兵隊は近代的な歩兵部隊のはしりのようによく言われますが、幕府の伝習隊の方が時期的に先ですし、奇兵隊よりも大規模でした。外国勢力の中には、戊辰戦争で薩長軍は敗けると考えていた国もあったのです。

 

旧幕府軍の総大将である徳川慶喜が敵前逃亡したから敗けたのだ、という俗説もありますが、どうやらこれも戦況が劣勢だったがゆえの逃亡だったようで、因果関係が俗説とは逆のようです。

ではなんで幕府軍は敗けたのか、ということになるとはっきりは分かりません。幕府伝習隊の兵士は諸藩の藩兵や無頼の徒の寄せ集めだったそうなので、せっかくの伝習隊も活躍の場がなかったという考え方もあるようです。

もしも旧幕府軍が実力を発揮していれば、鳥羽・伏見の戦いの結果ももう少し違っていたかも知れません。

3ページ目 「日本の近代」は江戸期に既に始まっていた

 

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