吉原よりも人気スポット!?江戸時代に存在した湯女風呂「丹前風呂(たんぜんぶろ)」とは?:2ページ目
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丹前風呂(たんぜんぶろ)から生まれた数々の流行とは?
丹前風呂は単なる風呂屋ということにとどまらず、多くの文化や流行を生み出す場所でもありました。
例えば、風呂に通う遊客のなかでも特に侠客、遊冶郎と呼ばれた人々の粋なスタイルは丹前風や丹前姿などと呼ばれました。
また、厚く綿を入れた上着である褞袍(ドテラ)のことを「丹前」と呼ぶのも、勝山や彼女に影響を受けたひいき客らが着ていたことが由来となっています。
丹前風呂(たんぜんぶろ)の終焉
大きな発展を見せた丹前風呂ですが、明暦の大火のあとに徹底した取り締まりを受けました。
明暦の大火…俗に言う「振袖火事」は武家の失火?はたまた都市計画のために幕府が仕向けたもの?
江戸時代は明暦の頃、ある商人の娘に「おきく」という子がいました。その娘が花見の時に見かけた際、ある若者に一目惚れをします。彼女は彼が着ていた着物に似せて振袖を作りますが、間もなく恋の病に臥せったまま1…
幕府は200軒にもわたる風呂屋の経営を禁止し、業者たちは廃業に追い込まれました。そこの湯女たちは、その後吉原に行くことになりました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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