剣豪集団・新選組は西洋式の軍隊だった!? 指揮官・土方歳三と二股口の戦いの前後から、その真相を読み解いた!:3ページ目
しかし歳三らは、塹壕陣地群の地の利を十二分に活かす戦術を取ります。
尾根上の塹壕陣地群は、街道を見下ろす位置にあります。
歳三ら旧幕府方は、敵の姿を十二分に視認出来る状況でした。逆に新政府軍からは、塹壕や高所への反撃は困難を極めます。
さらに歳三らは、塹壕陣地群から十字砲火を浴びます。
十字砲火(クロスファイア)とは、別々の場所から一点に向けて銃撃を加える戦術でした。ぶつける火力が大きくなり、加えて敵は遮蔽物に隠れることができません。敵の損害を大きくし、同時に陣地の守備を行うことに適した戦術でした。
現に箱館の五稜郭は、この十字砲火を行うように設計されています。
塹壕にいた歳三は部下に一斉射撃を命令。俄に銃撃戦が始まり、二股台場の周辺は銃声で満ち満ちていきました。
銃撃戦は16時間にわたり、歳三らの発射した弾丸は三万五千発にも上りました。
結局、新政府軍は二股口から撤退を選択。歳三は見事に近代戦で華々しい勝利を飾ったのです。
同月23日夕刻、新政府軍は兵力を800人(一千人とも)に増強して来襲。歳三も滝川充太郎ら伝習士官隊を加え、兵を400人に増やして迎撃します。
銃撃戦は先日よりも激しさを増しました。
旧幕府の兵は、熱を帯びた銃身を覚ますため水で冷やしながら戦闘を続けていたといいます。
翌24日、抜刀した旧幕府兵が敵軍の陣地に突撃。新政府軍はたちまち混乱状態に陥ります。
新政府軍の大将である軍艦・駒井政五郎は銃弾を受けて戦死。二股口の戦いは、歳三率いる旧幕府軍の大勝利に終わりました。
土方歳三の用兵術は、確かに時代をリードするほどに洗練されたものだったのです。
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参考文献
- 菊池明ら編 『土方歳三と新選組10人の組長』 新人物往来者 2012年
- 佐山二郎 『日露戦争の兵器』光人社 2005年
- 千田嘉博 「土方歳三が見せた変化する力 北海道北斗市・二股台場」 産経新聞HP
- 産経新聞