剣豪集団・新選組は西洋式の軍隊だった!? 指揮官・土方歳三と二股口の戦いの前後から、その真相を読み解いた!:2ページ目
新式銃部隊の指揮官、陸軍奉行並・土方歳三として二股口の戦いを勝利に導く
剣豪集団・新選組は、銃や大砲の新式装備には縁がなかった、と多くの方は思われているかも知れません。
しかしそれは違います。
文久年間から新選組では、新式銃(ゲベール銃)を購入して調練を開始。大砲の試射も行っていました。
土方歳三の用兵術は、実際に戊辰戦争においても発揮されています。箱館共和国(旧幕府)の陸軍奉行並となった、歳三の用兵についてみてみましょう。
明治2(1869)年4月13日、明治新政府軍1500人が蝦夷地の乙部に上陸。旧幕府軍が籠る箱館を目指して進軍を開始しました。
土方歳三は衝鋒隊や伝習隊など130人の兵を率いて出陣。二股口の台場山に本陣を構えます。
ここで歳三は戦略家として優れた一面を垣間見せています。
歳三らは峠を挟んだ尾根上に16箇所に及ぶ塹壕陣地群を構築。厳重な防御体制を築いていました。
夕刻を過ぎた頃、新政府軍400人が街道に姿を現します。
このとき、兵の数以上に歳三らは装備でも劣っていました。
土方歳三らは先込式のエンフィールド銃を使用。対して新政府軍は元込式のスナイドル銃を使用していました。
- エンフィールド銃→発射速度1発20〜30秒
有効射程900m
- スナイドル銃→発射速度1発6秒
有効射程900m
正面からやり合えば、歳三らは太刀打ちできません。