いつからそこに?大河ドラマ「鎌倉殿の13人」主人公・北条義時の墓が頼朝公の隣に!?:2ページ目
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近くに側近たちの墓も!
ちなみに、せっかく頼朝公の墓に詣でられたのであれば、時間が許すならもう少しだけ足を伸ばしてみるのがおすすめです。
頼朝公の法華堂跡から一度下に下りて東へ進み、すぐ左手(もしくはその一つ先)の石段を上ると義時の法華堂(と墓)跡があり、左手に「三浦やぐら(※)」を見ながら石段を上っていくと、三基の墓が見えてきます。
(※)宝治合戦に敗れ、滅亡した三浦一族が自刃したと伝わるやぐら。現在は供養塔が建立。
これは左から「鎌倉殿の13人」に登場する幕府のブレーン・大江広元(おおえの ひろもと)、その子で毛利家の祖先・毛利季光(もうり すえみつ)、そして頼朝公の落胤とも言われる島津家の祖先・島津忠久(しまづ ただひさ)の墓。
※頼朝公の法華堂跡から山中を伝って三基の墓に出られる道もあるにはありますが、現在通行止めとなっているため、無理に通るのはご遠慮下さい。
鎌倉は幕府が滅亡した後、しばらくは東国の要衝として機能していたものの次第に寂れ、江戸時代にはすっかり荒廃していたところを薩摩の島津重豪(しげひで)、長州の毛利敬親(たかちか)らが整備したと言います。
※頼朝公の墓について
一体どういうこと?源頼朝のお墓になぜか刻まれた薩摩藩主・島津氏の家紋「轡十文字」の謎
はじめに・刻まれた轡十文字[caption id="attachment_79844" align="aligncenter" width="300"] 頼朝公のお墓。今も献花が絶えない。[/ca…
そんな島津家・毛利家の名残が境内の各所に残っているので、よかったら探してみると楽しいですよ!
※参考:
永原慶二『全譯 吾妻鏡』新人物往来社、2011年12月
源頼朝の墓(みなもとのよりとものはか)-鎌倉市観光協会|時を楽しむ、旅がある
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