漢字文化が日本を滅ぼす?明治時代に「まいにちひらがなしんぶんし」を発行した前島密の危機感:2ページ目
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前島密はかねがね日本語、とくに漢字の複雑さについて憂慮しており、慶応2年(1866年)には江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)に対して「漢字御廃止之議(かんじおんはいしのぎ)」という建白書を奉上するほど熱心な漢字廃止論者でした。
曰く「アメリカ人ウィリアム某の申すところによれば、清国がアヘン戦争に敗れるなど文化が衰退しているのは、難解な漢字を使用してきたためであり、同じく漢字を用いている日本も遠からず同じ末路をたどる……との事で、今後欧米列強と渡り合っていくためにも日本語表記を仮名文字に統一して情報処理や国民教育の合理化を図るべし(大意)」との事で、主張の是非はともかく、緊迫した国際情勢が感じられます。
結局この建白書が採用されることはなかったものの、日本の危機をどうにかしようと前島密は明治6年(1873年)に啓蒙社から「まいにち ひらかな 志んぶん志」を発行。
その紙面は平仮名と漢数字だけで構成され、これで誰でも読むことが出来る……筈だったのですが、これが逆に読みにくくて仕方ありません。
漢字なら「鎌倉駅」と書いてあれば一目で「かまくらえき」と認識できますが、平仮名で「かまくらえき」と書いてあると、一文字ずつ読んで行かないと、意味がわからない場面が出てきます。
また「鮭」や「酒」などのように同じ「さけ」の仮名表記でも、まったく意味が違う言葉についても読み違いのリスクが高まるなど、漢字に慣れ親しんだ者にしてみれば、不便なことこの上ありません。
結局、ひらがな統一の試みは失敗に終わり、「まいにちひらがなしんぶんし」は明治7年(1874年)に廃刊となったのでした。