復讐は昔も変わらず!?平安時代末期に起きた恐ろしい復讐劇「殿下乗合事件」:2ページ目
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殿下乗合事件の詳細
法勝寺の法華八講からの帰り道、基房の乗る車が、平清盛の孫・資盛(たいらのすけもり)の女車と行き会いました。基房の従者は下車の礼をとるよう命じましたが、資盛の車はそれを聞かずに通り抜けようとしました。
その無礼を基房の供の者が咎め、資盛の車を壊しました。基房は慌てて実行犯を重盛(資盛の父)に引き渡しましたが、重盛は許しませんでした。
そして、報復の準備をはじめます。
その3ヶ月後、高倉天皇の元服に基房の行列が参内する途中、重盛配下の武士たちに襲われ、5人が馬から引き落とされ、そのうち4人が髻(もとどり)を切られる事件が起きました。
事件が記されたもの
この殿下乗合事件は、公家の日記などを集めた歴史書『百錬抄』、九条兼実(基房の異母弟)の日記『玉葉』、天台座主慈円(兼実の弟)の史論書『愚管抄』、そして『平家物語』にも記述があります。
『愚管抄』では、「重盛がしたことが、理解しがたい不可思議な事をした」と書かれています。
いかがでしたか?
この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!
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