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日本一小さな大名?徳川家康さえ一目置いた、喜連川藩の歴史を紹介!

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日本一小さな大名家?喜連川藩の特権と苦労

さて、江戸時代を通じて1万石を超えることのなかった喜連川藩ですが、徳川幕府から様々な特権が認められていました。

一、御所号(喜連川『公方』と称すること)の許可
一、四品(しほん。四位以上の官位)待遇
一、伝統的な左馬頭(さまのかみ)などの自称許可
一、参勤交代の義務を免除
一、妻子を人質に出さなくてよし
一、軍役や普請など諸役を免除
一、帰る時は家康直々のお見送り(御送礼の儀)つき……などなど。

御送礼の儀は第2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)の時に廃止されたそうですが、その他の特権は代々受け継がれ、江戸幕府と喜連川藩の特殊な関係は明治時代まで続きました。

ただし、特権もよいことばかりではなく、実質は1万石未満にもかかわらず10万石相当の家格を維持しなくてはならないため、財政面ではかなり苦労させられたそうです。

喜連川藩 歴代藩主
藩祖・足利国朝
初代・喜連川頼氏
2代目・喜連川尊信(たかのぶ。頼氏の孫)
3代目・喜連川昭氏(あきうじ。尊信の長男)
4代目・喜連川氏春(うじはる。足利一門宮原家からの養子)
5代目・喜連川茂氏(しげうじ。氏春の長男)
6代目・喜連川氏連(うじつら。茂氏の次男)
7代目・喜連川恵氏(やすうじ。伊予大洲藩加藤家からの養子)
8代目・喜連川彭氏(ちかうじ。恵氏の長男)
9代目・喜連川煕氏(ひろうじ。彭氏の三男)
10代目・喜連川宜氏(のりうじ。煕氏の婿養子)
11代目・喜連川縄氏(つなうじ。水戸徳川家からの養子)
12代目・足利聡氏(さとうじ。足利一門宮原家からの養子)

聡氏の代になって江戸幕府が滅ぶと喜連川藩も消滅したため、苗字を足利に戻して家督は養子の足利於菟丸(おとまる)に継がせ、その子孫は現代に至ります。

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