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何時の世にも桜は咲き散る。宮中の官女たちが桜を題材に好み楽しんだ「連歌」とは何か?

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定座(じょうざ)

和歌(やまとうた)の中で、大変好まれてきた題材として「月」「花」「恋」の三つの主題があります。

「恋」は連歌の中で別にルールがありますが、連歌において「月」と言えば「中秋の名月」、「花」と言えば「桜」を意味し、それらは連歌に詠み込む位置が決まっており、「月の定座」「花の定座」と呼ばれました。

この二つの定座が詠みこまれるのは“最後の句の一つ前”の句と決まっており、連歌会ではメンバーの中の最少年者、もしくは特別な客がいる場合は句の詠み順を変えてでも、その人物に「定座」を譲ったのです。

この「月」と「花」は誰もが詠みたがる句であり、それを譲るということは、現在の言葉でいう「花を持たせる」という言葉の語源となっています。

挙句(あげく)

【挙句】とは今まで詠み続けてきた連歌の、一番最後の句のことをいいます。この「宦女桜筵連歌ノ図」の中で【挙句】を詠むのは誰でしょうか。

 

筆者はこの絵の一番左にいる官女が【挙句】を詠むのではないかと思います。右隣にいる官女に話しかけられているように見えますが、その表情は【第三句】を詠むであろう官女の方を向いており、筆を持つ手付きはその先に考えを巡らしているようです。

【挙句】はその場で句を詠むのに迷っているとその場の雰囲気が壊れてしまうので、あまり前の句に固執せず、しかも連歌のまとめとしての締めの句として淀みなく詠むことが好ましいとされています。

現在“、挙句の果に”(最後の最後に)という言葉が使われますが、この“挙句”は連歌の【挙句】から生まれた言葉です。

まとめ

連歌の流れについてごく簡単にですがご紹介してきましたが、いかがでしたか。

今回ご紹介してきた「宦女桜筵連歌ノ図」のタイトルにある“桜筵”とは桜の花びらが辺り一面に散り敷かれた様子を表す言葉です。

花筵

この絵の作者である月岡芳年は、桜の花の下に座る官女たちを“花筵”と表現したのではないでしょうか。散った桜の花びらの行く末を考えると、というのは幾分センチメンタル過ぎるでしょうか。

連歌は句数によって、三十六句、四十四句、五十韻、百韻、千句、万句などの「長連歌」も生まれ隆盛を極めましたが、連歌の“発句”からやがて「俳句」が派生し、連歌は廃れていくことになりました。

しかし連歌は歌に詠まれた言葉の本当の意味や背景・出典などの深い知識がなければ、秀でた句を続けて付句することは出来ず、大変優れた文学です。

有名な連歌として、明智光秀が本能寺の変の前に作った「愛宕百韻」をここに記しておきます。

 

01   ときは今天が下しる五月哉     光秀

02   水上まさる庭の夏山        行祐

03   花落つる池の流れをせきとめて   紹巴




99   色も香も酔をすすむる花の本    心前

100  国々はなほのどかなるころ      光慶

愛宕百韻全文より一部引用

 

明智光秀は戦の前に連歌会を行うことで、皆の統率をはかり覚悟を決め士気を高めたのです。なお、挙句(100句目)は明智光秀の長男、光慶の詠んだものです。

 

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