全ての政治家は上杉鷹山を見習うべし!米沢藩を救った民福主義の改革とは【前編】:2ページ目
己の身を律し有言実行の態度で覚悟を示した鷹山
鷹山は、藩政改革を行うにあたり、重臣から少身の者まで多くの家臣を集め、自身が考える改革について熱心に説明を行い、協力を求めました。鷹山の真摯な姿に一部の家臣たちは協力を申し出ますが、多くの藩士たちは、反対の姿勢を崩さなかったのです。
しかし、現実は一刻の猶予もありませんでした。改革が遅れれば遅れるほど、米沢藩の借財は増えていくのです。こうした状況の中、鷹山は改革を妨げるものは、何であっても絶対に許さないという強い信念を貫きます。それは、自分に対しても同様でした。
鷹山は、絹の着物を廃し、質素な綿の衣服を着用。食べ物も贅沢な食材を使用せず、粥を主食として倹約を実践します。そして、涙をのんで、改革に頑なに反対する家臣を更迭するなど、有言実行の態度でその覚悟を示したのです。
こうした鷹山の行動に、家臣たちは徐々に心を動かされていきます。そして、後から述べる「精神の改革」による民福主義で領民たちの心も掴み、困難と言われた米沢藩の藩政改革を成し遂げるのでした。
ケネディが最も尊敬した日本の政治家
江戸時代中期から後期にかけての日本史を振り返ると、それは財政危機に陥った幕府や藩の立て直しの歴史でした。
小中高の歴史の教科書には、江戸幕府の再建を目指した改革である「江戸の三大改革」(徳川吉宗・享保の改革、田村意次の政治、松平定信・寛政の改革、水野忠邦・天保の改革)の話しが出てきますよね。
この「江戸の三大改革」は、中学・高校受験はもちろん、大学受験でも出題が頻発する最重要事項であることは周知のとおりです。
しかし、上杉鷹山の行った完璧なまでの藩政改革の話しはほとんど出てきません。ですから、鷹山の名は、地元米沢を除いては、あまり知られていなかったのです。
上杉鷹山の名が知られるようになったのが、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの就任会見での発言です。
彼は、最も尊敬する政治家の一人として、日本人、それも江戸時代の人間である上杉鷹山の名を挙げたといわれています。