全ての政治家は上杉鷹山を見習うべし!米沢藩を救った民福主義の改革とは【前編】:3ページ目
鷹山の改革と「江戸の三大改革」の違いとは
鷹山の改革についてお話をする前に、「江戸の三大改革」について少し触れておきましょう。鷹山の改革との違いが明確化するからです。
●鷹山が生まれる30年ほど前に、8代将軍徳川吉宗が行った「享保の改革」
●鷹山の米沢藩改革とほぼ同時代に、老中田村意次が行った「田村政治」
●米沢藩改革の少し後に、老中松平定信が行った「寛政の改革」
●その半世紀後に、老中水野忠邦が行った「天保の改革」
の4つの改革です。
この中で、「享保の改革」と「田村政治」は、ある程度の成果を上げたものの、「寛政の改革」と「天保の改革」は、さしたる成果を上げることができず、失敗に終わりました。
「江戸の三大改革」が振るわなかった理由
鷹山の改革が成功し、「江戸の三大改革」が振るわなかった理由は何だったのでしょうか。その答えは明白でした。
それは、鷹山の改革が「民に寄り添った」ものであったのに対し、幕府の改革は基本的に「民への優しさと思いやりが欠如していた」ものであったからです。(「享保の改革」は「目安箱」など庶民対応の政策があった)
つまり、幕府の政策は税や生活面などで庶民に大きな負担を強いるものの、その見返りはほとんどありません。
そのため、改革が進むにつれ、民の生活は経済的にも精神的にも、どんどん厳しいものになっていきました。その結果、改革そのものに大きな反発が生じてしまい、人心が離れてしまったのです。まるで、昨今の政治を見ているような感がありますね。
さて、前半はここまで。後編では、いよいよ鷹山が行った「精神の改革」の真髄に迫っていきます。