腰の刀は飾りじゃない!長さ規制に反発した戦国武将・大久保彦左衛門のエピソード:2ページ目
刀の鞘サイズ規制に反発
「おい、彦左!」
「……そなたに彦左と呼びつけられるほど安うはないが、何用じゃ?」
歴戦の勇士に凄まれていささか怯んだものの、その者は上から目線で言い放ちます。
「知らぬのか?此度、差料(刀)の鞘は二尺三寸(約70cm。刃渡り)が定寸(じょうすん。規定の長さ)となったのじゃ……」
彦左衛門が平素から差している刀は三尺六寸(約109cm)、彼の身長が戦国時代の男性平均158cmだとしたら、刃渡りだけで胸近くまで届く長さになります。
「そうでなくとも、貴殿の刀は何かと邪魔じゃ。これを機会に、短いものと替えられよ」
石突(刀を納める鞘の先端)を引きずらないためには、柄頭(つかがしら。柄の先端)を持った手を突き出して歩く必要があり、その姿が周囲からは傲岸不遜に見えたのでしょう。
しかし、そんな言葉に黙って従う彦左衛門ではありません。
「うるさい!それがしの刀はそなたらとは違って飾りではなく、戦場(いくさば)にて敵を斬るために差しておる。それがしにとってはこれが最も使いよく、ご奉公に適したものであるから、つまらぬことを申すでない」
武士にとって大切なのは、外ヅラを整えて御主君の機嫌をとることではなく、敵を倒して戦さに勝つこと……その目的を考えれば、刀の長さは各人にとって最も適したものであるべきです。
とは言え命令は命令……ロクに実戦経験もなく、刀を飾りと侮られたその者は、なお彦左衛門に食い下がります。
「ふ、ふん……貴殿がいくら意気がったところで、命令に背けば処罰は免れぬ……よいか、刀の鞘は二尺三寸。確かに伝えたぞ!」
さて、彦左衛門はどこまで意地を貫き通すのでしょうか。