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腰の刀は飾りじゃない!長さ規制に反発した戦国武将・大久保彦左衛門のエピソード

腰の刀は飾りじゃない!長さ規制に反発した戦国武将・大久保彦左衛門のエピソード

鞘は短くしたものの……

翌朝、江戸城へ登った彦左衛門の姿に、一同は息を呑みます。

「彦左殿、それは……?」

彦左衛門が差している刀の鞘は、短く二尺三寸に切られていました……が、石突(鞘の末端)を突き抜けた白刃が、一尺余りも伸びていたのです。

引きずられたその刃先は、畳であろうと板の間であろうとズリズリ、ガリガリ……ところ構わず傷つけました。

「こらっ、彦左……やめろ、やめないか……っ!」

日ごろ彦左衛門を快く思わぬ者たちが揃って咎めてもどこ吹く風、彦左衛門は江戸城内をあちこちと歩き回ります。

「鞘は木製ゆえ簡単に切れたが、刀は鉄ゆえそうも参らぬ。さりとて替えの差料を買う銭もなく、刀がなければ武士の奉公は叶わぬでな」

「えぇい、屁理屈を申すな!上様に楯突くつもりなら、切腹は免れぬぞ!」

ここまで言えば流石の彦左衛門も引き下がらざるを得まい……そんな周囲の眼差しを一身に受けながら、彦左衛門は呵々大笑。その声は城内に響き渡ります。

「……何がおかしい!気でも触れたかこの老骨め!」

「たわけ……切腹が怖くて奉公が出来るか!

彦左衛門はその場で裃(かみしも)を脱ぎ捨て、傷だらけの上半身を露わにすると、一同は息を呑みました。

彦左衛門が訴えた、命の「意味」と「使いどころ」

「……この老いぼれが傷だらけの腹を切って、間違ったご政道に意見が出来るなら安いもんじゃ……これまで数多の戦場をくぐり抜け、とうに捨てた命の使いどころとしては、悪くなかろう?」

もはや戦国乱世も遠く過ぎ去り、その本分を忘れかけていた武士たちに、彦左衛門のメッセージがどこまで響いたかは分かりません。

しかし、彦左衛門の想いはその著書『三河物語(みかわものがたり)』によって後世へ伝えられ、現代を生きる私たちに、命の意味と使いどころを訴え続けているようです。

結局は許されて命を永らえた彦左衛門が世を去ったのは寛永16年(1639年)、将軍は三代目・徳川家光(いえみつ)の時代となっていました。享年80歳。

戦国乱世の遺風を湛えた彦左衛門の不器用な偏屈さは、今なお多くの人々に愛され続けています。

※参考文献:
岡谷繁実『名将言行録』岩波文庫、1997年12月

 

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