戦国時代のスナイパー!火縄銃の腕前で武士の身分にまで出世した悪小次郎の武勇伝:3ページ目
敵を撃ち取ることの難しさ
以上が小次郎の主な武功となり、以降は史料から姿を消してしまうのですが、その生涯における確認殺害戦果(confirmed kill)は6人に留まっています。
「もっとこう『無双』できなかったの?例えば542名を射殺した英雄シモ・ヘイヘ(1905年~2002年)みたいに!」
現代的な感覚ではそう思ってしまうかも知れません。しかし、近代的な銃火器と戦国時代の火縄銃では、運用の前提が大きく異なることを忘れてはいけません。
当時の火縄銃は連射が出来ないどころか、一発撃つごとに弾丸を込め直し(一般的に数十秒~1分程度)、更には数発ごとに銃身を掃除してやらねば(粗悪な)火薬のカスが詰まって使い物にならなくなってしまいます。
弾丸の込め直しについては火薬とセットになった早合(はやごう)の普及や演練によって時間短縮が図られたものの、数発ごとの銃身清掃はどうしようもありません。
(※)一人で数丁を所持して、一発ごとに使い捨てて、撃ち切ったらすべて持って安全なところまで逃げて、再び清掃・弾込めしてから戦線復帰すればいいのでしょうが、あまり現実的ではありません。
また、火縄銃は有効射程距離も非常に短く、目安として「敵の目の白黒が見分けられるくらい」とも言われ、個人差はあるものの10~25mくらいまで接近しないと弾が命中しても致命傷には至りにくいとされています。
つまり、あらかじめ弾薬が用意された火縄銃一丁を抱えてギリギリまで敵に接近し、慎重に狙いを定めて見事に命中させ、その敵を倒した証拠(目撃者の言質をとったり、名乗りを上げたり)を確保した上で生還せねば、確認殺害戦果としては認められないのです。
もちろん、大勢の鉄砲放と共に連係プレーで一斉射撃を喰らわせ、それによって敵を倒した方が安全な上に効率的ですが、それでは「小次郎が撃ち倒した」証拠にならず、武功を求める者たちは、時として命を賭した抜駆けを敢行したのでした。
ゲームや講談なんかだと、敵兵をバッタバッタとなぎ倒し……という描写が人気を呼びますが、人を殺すというのは決して簡単ではなく、同時に自分の命も賭けねば成し遂げえないことを改めて実感します。