戦国時代のスナイパー!火縄銃の腕前で武士の身分にまで出世した悪小次郎の武勇伝
戦国時代、世の乱れから既存の身分制度が揺らぎ、実力次第で出世は元より、主君を押しのけて自分がとって代わる下剋上(げこくじょう)さえ夢ではありませんでした。
もちろんリターンに比例して(あるいはそれ以上に)リスクが高まり、元の身分が低ければ成功への道のりは遠く厳しいものとなりますが、それでも命を賭けるだけの価値はある、と多くの者たちがチャンスに挑んだことは、広く知られる通りです。
今回はそんな中、中国地方の覇者・毛利(もうり)氏に仕え、戦功によって武士の身分にまで出世した悪小次郎(わる こじろう)のエピソードを紹介したいと思います。
悪(ワル)の小次郎、毛利元就に奉公する
悪(わる)氏のルーツについては詳細な記録がなく、小次郎も中間(ちゅうげん。非武士の奉公人)という低い身分であったことから、恐らく代々の名字ではなく、小次郎の二つ名がそのまま定着?したものと考えられます。
「やぃやぃ、我こそは『ワルの小次郎』……命の要らねぇヤツぁかかって来やがれ!」
みたいな感じでしょうか。周囲から認められるほどの不良だとしたら、恐らく生家で持て余されて、口減らしに武家へ奉公してみた……というのが、小次郎の出発点だったのかも知れません。
そんな小次郎は安芸国(現:広島県西部)一帯を治める戦国大名・毛利元就(もうり もとなり。あるいはその家臣)に仕え、鉄砲放(てっぽうはなち。鉄砲隊)に配属されました。
当時の最新兵器であり、貴重品でもあった火縄銃を担当させてもらうのはハードルが高そうですが、貴重だからこそ家柄や身分にとらわれず、実際の操法に長けた者が割り当てられたものと考えられます。
そうでなければ宝の持ち腐れになってしまいますし、身分の高い武士たちの中には伝統的な弓ならともかく、鉄砲のような目新しい飛び道具を卑怯として忌避する者もいたようです。
「へへっ……こりゃ面白ぇや!」
そんなこだわりなど持たない小次郎は鉄砲の魅力にハマったことでしょう。天地をどよもす轟音に立ち上る硝煙の匂い、何より弾が命中した時の快感と言ったらたまりません。
「どんなに偉い大将だって、弾を食らえばみんな死ぬ……早く手柄を立てたいもんじゃ!」
当時、鉄砲放の仲間には市川久栄(いちかわ ひさひで)、岡元良(おか もとよし)、飛落小次郎(とびおち こじろう。後に宇多田藤右衛門) といった面々がおり、時に助け合い、また時には武功を競い合うのですが、それはまた別の話。
そんな中、小次郎は元服して諱を景政(かげまさ)と称します。改名の由来は不詳ですが、もしかしたらヤンチャな小次郎のこと、火薬をいじくっていて暴発させ、右目を失明してしまったので
「これは鎌倉権五郎景政(かまくらの ごんごろう かげまさ。右目を失いながら活躍した平安時代の名将)にあやかったんじゃ!」
……などと開き直った?のかも知れません(あくまで想像ですが)。転んでもタダでは起きない図ぶt……もとい前向きさこそ、ワルの身上というもの。ともあれ小次郎は鉄砲の名手として、毛利家中にその名を轟かせていくのでした。