聖人君子のウラの顔?綏靖天皇の「食人趣味」は本当か、説話「神道集」の伝承を紹介:2ページ目
朝夕に7人ずつ?綏靖天皇の「食人趣味」に感じる素朴な疑問
この『神道集』によれば、綏靖天皇は食人趣味があって朝に夕に7人を喰い殺し、臣下の者たちは「次は誰が食われるのか」と戦々恐々。
そこで一策を案じて「天から火の雨が降るというお告げがあったので、洞窟に隠れて下さい」と誘い込み、まんまと洞窟に入ったところを閉じ込めて、そのまま一生涯幽閉されたと言うのです。
しかし、このエピソードには疑問点がいくつかあります。
一、最初に「人肉が食べたい」などと言い出したキッカケは何か?
一、そんな暴挙を、周囲はなぜ止めなかったのか?
一、せっかく閉じ込めた暴君を、なぜわざわざ生かしておいたのか?
もちろん「詳細な記録はないが、きっと人肉を嗜好してしまう生来の異常者で、止めた者は真っ先に殺され、また、誰も殺せないくらいに最強だったのだ」と強引に理由づけることが出来なくもありません。
しかし、そんなに手を焼くような天皇陛下に対して、なぜ「綏靖」と諡したのでしょうか。強烈な皮肉と解釈できなくもありませんが、それなら第21代・雄略天皇や第25代・武烈天皇のように「強さ・激しさ・勇ましさ」を強調したのではないでしょうか。
そもそも『神道集』は仏教優位(仏教>神道)の思想に基づいて書かれており、仏教伝来以前の日本、もちろんそれを治(しろ)しめた神々や、その系統を受け継ぐ皇室については未開な存在として描く傾向が散見されます。
日本人が崇敬している神々も、元は御仏の救いによって相応の神格を与えられたとする考え方で、仏教伝来(『日本書紀』によれば欽明天皇13年・西暦552年)以前の綏靖天皇も、当然の如く野蛮な振る舞いが描かれました。
※それがなぜ綏靖天皇だったのかは根拠がありませんが、もしかしたら「神武天皇ほどのカリスマではなく、なるべく古い時代にさかのぼれば、荒唐無稽な逸話を書いてもクレームが出にくいだろう」と考えたのかも知れません。