幕末の京都を食べ歩き! 伊庭八郎が愛したグルメたち:2ページ目
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幕府は超ホワイト企業!? 食費も支給で超高額
幕府は所属する幕臣に「賄い(食費)」を支給していました。日記では、金一分(現代の約二万五千円)から三分(七万五千円)が確認されます。一月に約七度の出仕として、最低十七万五千円の支給です。
同行していた義兄・秀俊は、月の給料が「金五両三分二朱」(五十八万七千五百円)です。八郎自身は微禄と予想されますが、賄いと秀俊の給料に頼ったのか、暮らし向きに困った様子はありません。変わらず京都近隣の食べ歩きを続けます。あるときは「澤甚」のウナギを「都一番」と評価した一方、「加多々屋」は「金串でアヂ悪し」と批評しています。
八郎は大の甘党でもあったようです。「おしるこ」だけでも日記に計五回登場しています。さらに夏の和菓子「菓子鮎(現代の若鮎と思われる)」やお見舞いの品として「カステイラ」と「葛粉」を受け取っています。大坂の枚方に行った時には「くらわんか餅(餡餅)」、京都を去る際には、道中食の「ちまき(笹で包んだ餅菓子)」を多数(一両=十万円)購入しています。幕末にも幅広いスイーツがあったことがわかります。もしかすると八郎は、歴史上確認できる最古のスイーツ男子なのかも知れません。
参考文献:
山村竜也『幕末武士の京都グルメ日記「伊庭八郎征西日記」を読む』幻冬舎、2017年5月
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