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なかなかの「意識高い系」だった?戦国時代の武士はどんな日常生活を送っていたのか

なかなかの「意識高い系」だった?戦国時代の武士はどんな日常生活を送っていたのか

うらやましい!?14:00ごろには業務終了

かくして、朝早くから精力的に活動する意識の高い戦国武士たちですが、お昼を過ぎた14:00ごろには仕事を切り上げて帰宅、早くも夕餉(ゆうげ。夕食)の席につきます。

「え、ちょっと遅めだけど昼食じゃないの?」と思われるかも知れませんが、当時は一日2食が基本でした(戦闘時は別)。

夜食を摂らなければ次の食事は翌朝8:00となり、18時間も間隔をあけるのは流石に空腹がきつそうですが、多くの武士たちは限られた食糧をやりくりして、晩酌くらいは楽しんでいたことでしょう。

18:00には閉門し、緊急時を除いては基本的にアポなし訪問を断ります。早すぎると思うかも知れませんが、現代と違って夜道は星月と手もとの灯りだけが恃みという真っ暗闇です。

この時点で訪問していた者もすぐに帰るか、そのまま泊っていくかを判断し、深夜に帰るのは非常に危険でした。

そして20:00には就寝。この時間であれば真夜中ごろに夜襲があっても既に3~5時間は寝ているのでとっさの対応がとりやすいと考えられたためです。これなら7~9時間は睡眠がとれるので健康的ですね。

あまり夜更かしや深酒をして、疲れが溜まったor酔いが回った状態で寝入ると反応が鈍くなり、いざ有事に後れをとってしまうことも指摘されています。

もちろん、全員が就寝してしまう訳ではなく、交替制で不寝番を立てて、いついかなる時でも奇襲を警戒したのは言うまでもありません。

終わりに

戦国乱世に生きる武士たちと言えばとかく荒くれ者が多く、さぞワイルドで野放図な生活を送っていたのかと思いきや、イメージとは裏腹に、意外と(むしろ現代人よりも)キチンとしていたのかも知れませんね。

……うがった見方をすれば、こういう模範的な武士があまりに少ないことを嘆いた北条早雲(ほうじょう そううん。伊勢宗瑞)「お前ら、少しはしゃんとせい!」という意味で『早雲寺殿廿一箇条』が遺したのかも知れませんが。

※参考文献:
「歴史ミステリー」倶楽部『図解!戦国時代』三笠書房知的生きかた文庫、2016年7月
佐藤和夫『戦国武将の家訓』新人物往来社、1986年8月

 

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