源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【二】:2ページ目
「お前にだけは言っておく……」頼朝の告白
「……戻ったぞ」
頼朝の話が終わり、戻ってきた宗時は、平静を装いつつも明らかに興奮しており、頬など少し赤らんでいるようです。
「兄上、いったい何の話を……」
「知らぬ。そなたには、そなたへの話があろう。とにかく、行って参れ」
「はぁ」
いつも冷静な兄上が、あそこまで興奮する話とは一体……そんなことを思いながら部屋に入ると、燈火一つだけ点いた薄暗い中で、頼朝が待っていました。
「……参ったか」
「はぁ」
さぁ、何の話があるんだろう……ドキドキした義時ですが、なかなか口を開いてくれません。
「あの……お話しとは……」
ジリジリと燈火の燃える中、いよいよ焦れた義時が、黙りこくったままの頼朝に訊ねます。両者の間合いはおよそ一間。大股なら一歩、心理的な圧迫感もあるかないかという微妙な距離です。
「……小四郎!」
次の瞬間、山のように鎮座していた頼朝が片膝を立てて身を乗り出し、義時を押し倒さんばかりにその両肩を掴みました。
(近い近い近い近い!)
いったいぜんたい何事か、こんな時に、いやこんな時だからこそ、そんな「ご趣味」を明かされるのか……いやいや近い近い近い近い!……すっかり動揺した義時に、頼朝は言いました。
「これまで誰にも言わずに来たが……此度の挙兵、そなたら兄弟だけが恃(たの)みだ」
「は、はぁ」
鼻先が触れ合いそうな近さの頼朝を前に、話の中身など何も頭に入りません。それから何か言われたようですが、夢かうつつか判らぬまま、義時は退出。フラフラと宗時の元へ戻ります。
「兄上……此度の初陣、必ずや佐殿に勝利を献じましょうぞ!」
「おぅ!」
日ごろ姉とのつながりで親しくはしていたが、ここまで頼りにしてくれていたとは……大いに奮い立った二人ですが、実は頼朝、この手を全員に使っていました。
『吾妻鏡』によれば、工藤介茂光(くどうのすけ しげみつ)、土肥次郎実平(どひ じろうさねひら)、岡崎悪四郎義実(おかざき あくしろうよしざね)、宇佐美三郎助茂(うさみ さぶろうすけしげ)、天野藤内遠景(あまの とうないとおかげ)、佐々木三郎盛綱(ささき さぶろうもりつな)、加藤次景廉(かとうじ かげかど)……etc.
こんなにやれば、遠からずバレてしまうでしょうに(実際バレて『吾妻鏡』に記載されています)、それでもヌケヌケとやってしまうあたり、頼朝はよほどの人たらしだったのかも知れません。
「でもまぁ、負けたら殺されるんだから、そりゃ必死だよな……あんなんだけど憎めないし、佐殿のために俺たちも一丁気合い入れてやろうか!」
「おう!」
きっとそんな感じで、運命の8月17日を待ち構えていたことでしょう。
【続く】
※参考文献:
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月
坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年12月
阿部猛『教養の日本史 鎌倉武士の世界』東京堂出版、1994年1月
石井進『鎌倉武士の実像 合戦と暮しのおきて』平凡社、2002年11月