卑弥呼のモデル?それともライバル?神功皇后に征伐された土蜘蛛の巫女王・田油津媛:4ページ目
「誑(たぶら)かしの姫」と呼ばれ……
以上、田油津媛の叛乱について紹介してきました。ところで田油津媛という名前は、本人が名乗ったり、臣下たちが呼んだりした訳ではなく、ヤマト政権による蔑称と考えられています。
田油(たぶら)は戯(たぶ)るの使役形「誑(たぶら)かす」に通じ、津(つ)は記紀神話に登場する神様の名前でお馴染み「~の」に相当しますから、現代語に訳すと「誑かしの姫(媛)」と言ったところです。
田油津媛の駆使した呪術によほど苦戦させられたのか、あるいは呪術に惑わされた?人々からの声望がよほど篤かった(≒ヤマト政権に対する民衆の抵抗が激しかった)のか、いずれにしても彼女の「ただものならなさ」が感じられます。
そんな田油津媛の墓は老松神社(現:福岡県みやま市)の境内にある古墳と伝えられ、かつては彼女を慕う人々によって「女王塚」と呼ばれていたそうですが、皇族の陵墓ではないため、いつしか「蜘蛛塚」と改称されて今日に至ります。
この蜘蛛塚、雨が降ると血を流すとも言い伝えられていたそうですが、悠久の歳月を経て怨みも少しは癒えたのか、現代では血は流れていないようです。
もしかしたら卑弥呼のモデル、あるいはその人、あるいは(モデルの一人である神功皇后の)ライバルだったかも知れない田油津媛の謎について、今後の究明が期待されます。
※参考文献:
和田清・石原道博 編訳『魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』岩波文庫、1951年
坂本太郎ら校注『日本書紀』岩波文庫、1995年
金田一春彦『新明解 古語辞典』三省堂、1995年