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卑弥呼のモデル?それともライバル?神功皇后に征伐された土蜘蛛の巫女王・田油津媛

卑弥呼のモデル?それともライバル?神功皇后に征伐された土蜘蛛の巫女王・田油津媛

仲哀天皇に攻められた熊襲への援軍として挙兵?

それでは、叛乱を起こした田油津媛が神功皇后に討たれる少し前の歴史をざっと見てみましょう。

仲哀天皇八199年
9月 仲哀天皇が南九州の熊襲(くまそ)討伐に出陣するも、敗れる

仲哀天皇九200年
2月 矢傷が元で仲哀天皇が崩御する
3月25日 熊襲を討った神功皇后によって、田油津媛が討たれる

仲哀天皇八199年9月、神憑りとなった神功皇后は、仲哀天皇(ちゅうあい てんのう)に「熊襲よりも先に、海を渡って新羅(しらぎ。朝鮮半島の古代王朝)を攻めよ」と神託を授けます。

しかし、仲哀天皇はせっかくのご神託を聞かず「まずは手近な方を」とばかり熊襲を攻めます。この時、九州北部を支配していた田油津媛は、南方の熊襲に援軍として挙兵したのかも知れません。

そして神意に背く者に勝利はなく、仲哀天皇は戦さで矢を受けて敗走。そのまま寝込んでしまい、翌年2月に陣中で崩御してしまいました。

「ヤマト政権、恐るに足らぬ!者ども、一気に撃ち滅ぼせ!」

熊襲の士気が上がったであろうことはもちろん、援軍の田油津媛たちも、得意?の呪術を駆使して一気にヤマト軍を惑わそうと張り切ったことでしょう。

しかし、仲哀天皇に代わって指揮を執った神功皇后は、瞬く間に熊襲を討ち滅ぼし、また田油津媛の呪術をも打ち破ってしまいます。

呪術を破られてしまった田油津媛はあえなく討ち取られ、援軍として向かっていた彼女の兄・夏羽は「妹が敵わぬ相手では太刀打ちできぬ」とばかり逃げ去ってしまったそうです。

かくして熊襲を討ち平らげ、九州地方を平定した神功皇后は日本の全国制覇を果たし、やがて海を渡って三韓(朝鮮半島の三王朝)征伐に乗り出すのですが、それはまた別の話。

4ページ目 「誑(たぶら)かしの姫」と呼ばれ……

 

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