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実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【六】

実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【六】

新見錦が切腹、副長に昇格するも……

芹沢一派の破綻が決定的となったのは文久三1863年9月15日、芹沢鴨のブレーンであった局長・新見錦(にいみ にしき)の切腹でした。

新見の生涯については謎が多く、その死についても諸説ありますが、永倉新八『新選組顛末記』によれば、祇園新地の料亭・山緒で遊んでいた新見を試衛館派が取り囲み、数々の悪行(※芹沢のそれも含む)を突きつけた上で、局中法度の第一条

「一、 士道ニ背(そむ)キ間敷(まじき)事」
(※意訳:武士らしくない事をしたら切腹)

に照らして「切腹するか斬首されるか」の二択を迫ったそうです。

要するに「芹沢の身代わりに殺された」訳ですが、トカゲの尻尾切りにされたことを察した新見は、芹沢を恨んで死んでいった事でしょう。

「あの野郎……ずっと同志だった俺を売りやがって……今まで誰がお前を守ってきたと思っているんだ……覚えておけ、芹沢……次はお前の番だ!

新見の死によって、3人いた新選組の局長が水戸派/試衛館派の2人になり、副長が水戸派1名/試衛館派2名でバランスが悪くなったため、水戸派から五郎が副長助勤から副長に抜擢されました。

「しかし……俺なんかで務まるのかな……」

これまで勘定方も兼務するなど、多少は頭が回ったところで、所詮は腕っぷしだけの乱暴者。ブレーンを失った芹沢を支えていける自信はありませんでした。

芹沢鴨を守るため、死の宴席に立ち向かう

そんな不安に沈んでいた文久三1863年9月16日。その日は、朝から雨が降っていました。

「あれ?平間さんに平山さん。どうしたんですか?そんな暗い顔をして……そうそう、平山さんの昇任祝いその他もろもろで、今夜、芹沢先生が近藤先生と共同で宴会を開くそうですよ」

不気味なくらい明るく、ニッコニコの表情でやって来たのは「鬼の副長」土方歳三。

「こんな天気なんで、ちょっと早めの申七つ(午後4時ごろ)から島原の角屋(すみや)に席を予約してありますから、遅れないで来て下さいね~♪」

いや、罠だろ!どっからどう見ても状況的に絶対「罠」以外の何物でもない!……とは解っていましたが、ここで逃げたら芹沢先生を見殺しにする事になるし、そもそも逃げ出すことも想定して、既に包囲網を固めているかも知れない。

「捕まったら……切腹だ」

一、局ヲ脱スルヲ不許(ゆるさず)
(※意訳:脱走した者は切腹)

今ごろになって、局中法度の条文が心に重くのしかかります。

「おい五郎……どうする?」

「……そりゃ重助、行くしかねぇだろ。」

「そうだな……どうせ死ぬなら、最期まで悪足掻きしてやらぁ」

昨日、新見が切腹の前に突きつけられた数々の「罪状」は、どれもこれも自分たちが加担していたものばかり……新見を取り囲む試衛館派の後ろに隠れていた二人は、肩を竦めて聞いていました。

「守れなかった新見さんの代わりに、俺たちで芹沢先生を守ろうぜ」

「よぅし……試衛館の甘ちゃんどもに、悪党の意地を見せてやらぁ」

そう意気込んで、五郎と重助は芹沢に同行して角屋へと向かったのでした。

【続く】

※参考文献:
永倉新八『新撰組顛末記』新人物往来社、2009年
箱根紀千也『新選組 水府派の史実捜査―芹澤鴨・新見錦・平間重助』ブイツーソリューション、2016年
流泉小史『新選組剣豪秘話』新人物往来社、1973年

 

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