もしも織田信長の嫡男・信忠が落ち延びていたら?織田家の天下統一が実現していた可能性はいかほど:2ページ目
2ページ目: 1 2
当時、信長とともに秀吉へ援軍に向かうべく、京都の妙覚寺に嫡男の信忠が滞在していました。信忠は光秀謀反の知らせを受けると救援に向かおうとしますが、時すでに遅し。
信長自刃の報告が届くと、京都所司代・村井貞勝の助言を受けて二条御所に入ります。このときの決断が、後々振り返ると歴史的に重要な分岐点となりました。信忠は二条御所に籠城して善戦しましたが、圧倒的な兵力の差になす術もなく、自刃して果てるのです。
さて、もしここで信忠が二条御所に入らず、京都から落ち延びていたらどうだったでしょう。
その後の展開が示すように、光秀に与するものはほとんどおらず、一方信忠は信長の嫡男であったため、態勢を整え、家中の武将たちを率いて復讐にのぞめば、十分光秀を滅ぼすことができたのではないでしょうか。
その場合、史実では信長の後継者の座にいた秀吉が力を持つこともなく、織田家による天下統一が実現していた可能性が高くなります。
もちろん、これは今となってからのお話。結末を知っている現代人の我々が、当時を生きた人々の決断を評価することはフェアではありませんし、立場が違います。
いずれにせよ、史実は織田信長が自刃し、その権力の座は、光秀、豊臣秀吉へと引き継がれてゆくのです。
参考
ページ: 1 2