方言は悪いことば?かつて鎌倉で行われた言葉狩り「ネ・サ・ヨ運動」の黒歴史を紹介:4ページ目
燃えろよ燃えろ……「ネ・サ・ヨ祭り」が全国に紹介
そんな方言追放運動の極めつけが「ネ・サ・ヨ祭り」。日常会話の「そんで(それで)ネェ」「そんでサァ」「そんでヨォ」といった語尾(ネ・サ・ヨ言葉)を、鎌倉における土着方言の象徴として槍玉に挙げます。
そしてその「ネ・サ・ヨ言葉」を児童一人々々に短冊に書かせて竹などにくくりつけたものを、校庭の中央でドンド焼き(左義長)のように燃やしたと言いますが、きっと中世ヨーロッパの魔女狩りもかくやとばかりの光景だったことでしょう。
これが「ネ・サ・ヨ運動」として全国的に紹介され、全国各地の「ことばの問題(要するに方言追放運動)」に取り組む100校ばかりと姉妹校となったそうですが、この21世紀、令和の御代になってもまだ「悪いことば」を短冊に書いて燃やしている学校はあるのでしょうか。
エピローグ
「きみのことばのなかに きみがいる
あなたのことばのなかに あなたがいる」※腰越小学校「ことばの碑」碑文
令和の現在、腰越小学校で「ネ・サ・ヨ祭り」が実施されている様子はありませんが、朝日新聞神奈川版によると、少なくとも昭和四十1965年12月に「悪いことば追放週間」が行われた記事があります。
紙面によれば校庭の片隅に建立された「ことばの碑(昭和三十八1963年、運動5周年記念)」を前に恒例の「ネ・サ・ヨ祭り」が行われ、腰越のさらなる発展のため「悪いことばを使う必要がないよう正しく美しい心の持ち主になる」ことを、児童・教師・父兄ともども誓い合ったそうです。
何をもって「発展」とするのかは人それぞれ価値観の分かれるところですが、土地の歴史に根ざした文化や言葉を躍起になって否定し、自分たちのスタンダードを強制する姿勢や精神が、果たして「正しく、美しい」と言えるものでしょうか。
多様性を受容し、尊重し合える社会の実現はいまだ道半ばの感ですが、かつて鎌倉の地にこんな歴史があったことも、参考までに顧みて頂けたらと思います。
※参考文献:
清田昌広『かまくら今昔抄60話』冬花社、2007年4月20日 第1刷
日野資純・斉藤義七郎『神奈川方言辞典』神奈川県教育委員会、1965年
木村彦三郎編『鎌倉のことば』鎌倉市教育委員会、1989年3月