そんな理不尽な!しょうもない理由で改名させられた鎌倉幕府の御家人・北条時連のエピソード:3ページ目
「連とは卑しき……」知康の暴言
さて、夜は鎌倉中のキレイどころ(白拍子や遊女)を召し集めて、呑めや唄えやドンチャン騒ぎ。皆さん大いに楽しんでいましたが、さすがは京の都人、世渡り上手の知康は、銚子を抱えてあっちゃこっちゃとお酌に余念がありません。
そんな中、時連の元へも回ってきた知康は、自分もしこたま呑んで酔っていたのか、口を滑らせて言い放ちます。
「五郎殿はイケメンで立ち居振る舞いも立派で上品、おまけに蹴鞠の腕前も抜群ながら、そのお名前が下劣にございますな」
【原文】北條五郎は容儀といひ進退といひ、抜群といひつべきところに、實名はなはだ下劣なり……
※『吾妻鏡』建仁二年6月25日条
いきなり面と向かって「お前の名前は下劣だ」とは、ずいぶんなご挨拶もあったものですが、戸惑う時連を前に、知康は得意気に続けます。
「連(つら)とは銭に貫き通してまとめるヒモのこととて、卑しき庶民の道具にございます。まぁ……かつて紀貫之(きの つらゆき)なる歌仙(かせん。和歌のカリスマ)がおりましたが、彼にあやかろうなど厚かましい。早う改名なされた方が……」
【原文】時連の連の字は銭貨を貫く儀か。貫之歌仙たるによつて、その芳躅(ほうちょく)を訪(とぶら)ふか。かたがた然るべからず。早く名を改むべき……
※『吾妻鏡』建仁二年6月25日条
そのやりとりを聞いていた頼家公は、時連を嘲り笑いながら改名を勧めます。
「はあ。然らば『時房(ときふさ)』とでも……」
不承不承ながらも時連は改名に同意し、後に北条時「房」と名乗るようになったのですが……。