美しき女武者!木曾義仲と共に戦いその最期を語り継いだ女武者・巴御前の生涯(下):2ページ目
宇治川・最後の戦い
ここでも巴は攻め寄せる鎌倉勢の大軍を相手に一歩も怯むことなく戦います。
その豪傑ぶりに舌を巻いた敵将・畠山次郎重忠(はたけやまの じろうしげただ)が郎党に「あの女は何者か?」と訊いたところ、
「木曾殿の御乳母に、中三権頭が娘巴といふ女なり。強弓の手練れ、荒馬乗りの上手。乳母子ながら妾(おもひもの)にして、内には童を仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を取らず。今井・樋口と兄弟にて、怖ろしき者にて候」
※『源平盛衰記』【意訳】義仲の乳母で、巴と言います。弓馬の達者で、義仲とは乳母ながら妾(愛人)でもあり、一方では大軍を率いる戦上手。今井兼平や樋口兼光とは兄弟で、彼らに劣らぬ怖ろしい女です。
(※巴の立場については年齢同様に諸説あり、義仲の側室だったり身分の低い妾だったり乳母だったり、などと曖昧です。ちなみに先述の「便女」とは文字通り「便利な女」の意で、何かと活躍しました)
そう聞いた重忠もまた、東国に聞こえた猛将。「相手にとって不足なし」と喜び勇んだことでしょう。
しかし、巴らの奮戦もむなしく武運は木曾方にあらず、敗れ去った義仲らは、生き残ったわずかな人数で信州を目指すのでした。