実は黒歴史だった?「此の世をば……」藤原道長のこの歌を一体誰が後世に伝えてしまったのか?:3ページ目
『小右記』の綴った半世紀
「(前略)……有所煩不參云々、(わずろうところありてさんぜずうんぬん)」
※文末の「、」は原文ママ。
……と、寛仁二年十月十六日の記述は終わっているのですが、これを書いたのは先ほど登場した実資その人。
本人さえ忘れたかった道長の「黒歴史」をしっかりと書き留めたがために、その傲慢な言動が千年先まで伝わってしまいました。
(※そう言えば、平成三十2018年は寛仁二1018年からちょうど千年になります)
今回のエピソード以外にも、実資の書いた日記は『小右記(しょうゆうき)』として現代に伝わり、藤原道長・頼通親子の全盛時代における社会や政治、宮廷の故実や儀礼について詳(つまび)らかに記録されています。
(※余談ながらこの『小右記』、天元五982年から長元五1032年の50年以上にわたって書き続けられましたが、日記を半世紀続けるって、実資はとてもマメな人だったのでしょう)
実資は『小右記』の中で、道長の能力こそ評価しながらもその言動や政策については痛烈に批判しており、今回の「黒歴史」も、その一環として書き留められたものでした。
月は満ちれば必ず欠ける―――やがて摂関時代が過ぎ去り、土御門殿が狐狸の巣窟と荒れ果てても、道長の歌は輝かしく伝えられ、千年の歳月を越えて往時の栄華を偲ばせます。
参考文献:日本書籍保存會『史料通覧 小右記 二』大正4年5月25日