茶屋で売春?男色を売る男娼までいた?江戸時代には色んなタイプの茶屋があった:2ページ目
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幕府非公認。遊女を置いていた「色茶屋」
色茶屋(いろぢゃや)とは、遊女を置いていた茶屋のこと。先述した待合茶屋と似た部分があります(待合茶屋と色茶屋を一括りにする場合も)。江戸時代には吉原遊郭をはじめとする幕府が公認する遊郭がありましたので、色茶屋は非公認の売春宿となります。
吉原遊廓などで遊べるほどお金がなかった庶民たちは、代金の安い色茶屋を使っていました。
男娼が男色を売っていた「陰間茶屋」
陰間茶屋(かげまちゃや)とは、男性が男性に対して売春をしていた場所。陰間とは男色を売った男娼の事を言います。もともとは、歌舞伎で修行中の少年役者のことを”陰の間”と呼んでおり、そこからきています。
陰間は11〜12歳くらいの少年から20歳前後の男性が多く、15〜17歳くらいは盛りだったとか。歌舞伎の若い役者たちが売ることは少なくなかったようです。
男娼がいる江戸時代の「陰間茶屋」客は男性だけではなく女性にも人気だった?
吉原に通う人がいる一方で、陰間茶屋に通う人もいました。陰間というのは男娼のことで、陰間がいる茶屋は陰間茶屋または野郎屋と呼ばれることも。全国各地にありましたが、その中でも有名だったのは芳町です。宝暦(…
このほか、芝居茶屋や料理茶屋など料理を提供する形態のお店もありました。芝居茶屋は歌舞伎を鑑賞するお客のお食事どころとして、料理茶屋は、料亭や割烹の形態へと発展した茶屋とも言えます。
江戸時代には様々なタイプの茶屋があったんですね。水茶屋の形態からはじまり、そこに人は集まり出会いがあり。場所貸しというスタイルが生まれれば、そこには裏のビジネスも登場してくるわけですね。
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