まさに江戸時代の素人アイドル!?その美貌に溺れる男が続出した水茶屋娘たちまとめ:2ページ目
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生粋の看板娘「難波屋おきた」
浅草観音の境内に店を構える難波屋の茶屋娘だった、難波屋おきた(なにわやおきた)。上の写真ではお茶を運んでいる姿が描かれていますが、自らお茶を運ぶことがほとんどないほどの人気ぶりだったとも言います。名画・寛政三美人の一人として有名。
向島のサラブレッド「山本屋おとよ」
山本屋おとよ(やまもとやおとよ)は、桜餅で有名な向島長命寺境内の山本屋の2代目の娘。山本屋は美人の血筋として有名で、おとよもかなりの美人さんだったそうです。
銀杏の下に咲く華「柳屋お藤」(楊枝屋)
番外ですが、柳屋お藤(やなぎやおふじ)又は銀杏お藤は、江戸浅草寺奥山の銀杏下の楊枝見世・柳屋の娘。上の作品では左がお藤。後ろに楊枝が陳列された柳屋が描かれていますね。真ん中が歌舞伎役者の女形・瀬川菊之丞で、右がお仙です。
煎餅が焦げるほど恋したい「高島屋おひさ(高嶋屋おひさ)」(煎餅屋)
こちらも番外的ですが、高島(高嶋)屋おひさ(たかしまやおひさ)は両国に店を構える高島屋長兵衛の娘(左)。お煎餅屋さんです。難波屋おきた(右)と共に、喜多川歌麿の寛政三美人の一人として描かれました。寛政三美人に描かれたもうひとりは吉原の芸者さんだった豊雛(真中)です。
いかがでしたか?浮世絵の美人画ってどれも同じような表情で違いがわかりにくい…と思う人もいるかとおもいますが「描かれている美人は誰?」まで探ってみると、それぞれの作品の背景が見えてきて違った楽しみもできるからおすすめですよ。
当時はこういった浮世絵を庶民たちで回し見しながら、アイドル情報を共有していたのでしょう。遊郭などで働くプロアイドルとはまた違った魅力を、茶屋娘に感じていたのかもしれませんね。
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