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吉原はどんな場所だったの?江戸時代の見取り図や浮世絵で吉原遊廓をご案内

吉原はどんな場所だったの?江戸時代の見取り図や浮世絵で吉原遊廓をご案内

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2018/03/24

吉原の内部はこうなっていた

さて、ようやく吉原大門にたどりつきました。

国貞「北廓月の夜桜」国立国会図書館蔵「東京国立博物館ニュース. 2008 (2・3月) (687)」より抜粋

男であれば誰であれ問題なく入れます。女であれば、大門をくぐって右側にある四郎兵衛会所という番所で木戸札(チケット)を発行してもらい受け取ります。外に出る時にこの木戸札がないと、遊女や遊廓内の者とみなされ、外に出してもらえませんでした。

吉原遊廓の見取り図はこんなふうになっています。

江戸末期新吉原見取り図(彩色、文字加筆:筆者)

真ん中の広い大通りが「仲之町(なかのちょう)」。町と書きますが道の事です。

仲之町の左右にそれぞれ丁目に分かれていて、江戸町一丁目(えどちょういっちょうめ)、江戸町二丁目(えどちょうにちょうめ)、揚屋町(あげやちょう)、角町(すみちょう)、京町一丁目(きょうまちいっちょうめ)、京町二丁目(きょうまちにちょうめ)の6つがありました。丁目ごとの木戸門をくぐると妓楼(女郎屋)や吉原に勤める者の居住地区が広がっていました。

歌川広重「新吉原仁和歌之圖」ボストン美術館蔵※門は大門ではなく江戸町一丁目の木戸門

3ページ目 丁目の木戸門をくぐって、客たちは女郎の品定め

 

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