男前すぎる!西郷隆盛と対峙した偉大な幕臣、彼の名は「山岡鉄舟」[後編]:3ページ目
始末に困る人…だからこそ大人物だった山岡鉄舟
約束の10年が過ぎて侍従を辞した後も、鉄舟は様々な方面で才能を発揮します。禅、書はもちろん、剣でも精進を重ねて一刀正傳無刀流(いっとうしょうでんむとうりゅう)なる剣術の流派も築きました。また、維新で亡くなった人々の冥福を祈るために全生庵(ぜんしょうあん)と言う寺を建立しています。
とことんまでパワーと才気に溢れる鉄舟にも、最期の時が迫っていました。明治21年(1888年)7月19日9時15分、胃ガンを患っていた鉄舟は皇居に向かったまま結跏趺坐(けっかふざ。座禅の座り方のひとつ)し、53年の生涯を閉じます。その死には門弟が殉死したり、明治天皇を始めとした多くの人が悲しみに打ちひしがれるなど、鉄舟が多くの人に愛されていたのを示すものでした。
鉄舟に対して西郷は、“金も名誉も命も要らぬ、始末に困る人”と評価しました。幼少期からひたむきに打ち込む精神を磨き、自分を信じてくれる人のためには何もかも投げ打った鉄舟の人となりを、端的に表していますね。
大河ドラマ『西郷どん』では誰が鉄舟を演じるかはまだ明らかになってはいませんが、山岡鉄舟は西郷の生涯において欠かせない人物であり、どのようにして描かれるかは大いに関心をそそられるものです。興味のある方は西郷と鉄舟の出会い、そして新政府で共に働いた時のエピソードを記した本も多いので、予習しておけばより一層楽しめると思います。