そ、そんな急に言われても…日本の暦が「太陰暦」から「太陽暦」に変わった大人の事情とは?:2ページ目
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閏月は国庫に大打撃!?
実はこの「閏月」、官吏(官僚)に給料を支払う立場の国にとっては深刻な問題でした。暦が切り替えられる前年の明治4年9月に、官吏の給料が「年俸制」から「月給制」に変更されたことが財政に大打撃となっていました。
通常は年に12ヶ月分払う月給を、閏月のある年は1ヶ月多い13ヶ月分支払わなければならないわけですから、政府が悩ましく思うのは当然です。暦の変更が突然発表された明治5年は、その閏月の入る閏年が、まさに来年に迫った年だったのです。
明治5年12月は、たった2日間に!
その変更が、これまたあまりにも急な内容で「明治5年は12月2日で終わりとし、明治5年12月3日を明治6年1月1日とする」というもの!太陽暦では旧暦の12月3日がちょうど「元旦」に当たったという理由ももちろんありましたが、それにしても明治5年12月はたった2日間で終わりだなんて!しかもそんな重大なことを1ヶ月前に発表だなんて、あまりにもビックリです!
この急な暦の変更が世の中に大混乱を巻き起こしたことは、言うまでもありません。「歳の市」などの年末年始の準備も間に合わず混乱を極めましたが、一番困ったのは今で言うカレンダー業者の「弘暦者」でした。既に出来上がって出荷済みだった、閏月の入った明治6年の暦は大量に返品されました。業者の悲痛な叫びが聞こえて来そうです。
新暦に変わってからも、この暦の変更による約束の行き違いが相次ぎ、あちこちで混乱が生じました。
日本で太陽暦が採用された理由は、表向きは「日本と諸外国の国交が盛んになったため、海外で主流となっている太陽暦を採り入れた」とされています。しかし実際には大人の事情も少なからずあったようですね。
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