なぜに野ざらし…?鎌倉の大仏に大仏殿が無い理由は自然災害にあり
高徳院「阿弥陀如来像」
江ノ島電鉄「長谷駅」で下車し、歩くこと9分ほど。神奈川県鎌倉市長谷の浄土宗の寺院「高徳院」に、鎌倉といえば大仏!と言われるほど有名な「長谷の大仏」があります。
高さ約11.39メートルの緑色のボディに、穏やかな表情を浮かべて鎮座ましますこの大仏の正式名称は「銅造阿弥陀如来坐像」。
よく見ると鎌倉の大仏には、不思議な点があります。
奈良の「東大寺」の大仏「虞舎那仏像」は、大仏殿の中に安置されています。しかし鎌倉の大仏には、大仏殿がありません。鎌倉の大仏の全身が緑色なのは、野ざらしにされていることで本体の銅が酸化し、「緑青」と呼ばれる錆に全体が覆われてしまったからです。
鎌倉の大仏の歴史
高徳院の開基(創立者)や開山住職、また大仏の造られた経緯などは、現在でははっきりとは分かっていません。
鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』によると、暦仁元年(1238年)に、現在の場所に大仏が建立され始め、寛元元年(1243年)に開眼供養が行われたという記録があります。
出典:写真素材足成
この時、大仏は現在のような銅製ではなく、木造でした。その後の建長4年(1252年)から、新たに銅製の大仏が造られ始め、これが現存する鎌倉の大仏だと言われています。
なぜ大仏殿がないの?
さて、現在の鎌倉の大仏は屋外に野ざらしで、大仏を納めるための建物「大仏殿」がありません。大仏だけを建立したのでしょうか?
実は、鎌倉の大仏も建立当初は、奈良の大仏と同じように大仏殿の中にありました。しかし、鎌倉時代・室町時代の台風、地震、津波により倒壊し、応安2年(1369年)以降は再建されていないのです。そのことは、平成12年〜13年(2000年〜2001年)の発掘調査によっても明らかになっています。
室町時代の禅僧・万里集九が文明18年(1486年)に鎌倉大仏を見た時には、既に大仏は野ざらしだったとのこと。建物が台風や津波で流されても、大地震で倒壊しても、大仏本体は約121トンと重いため、そのままその場所に残ったのでしょう。
その後、野ざらしによって荒れたこの大仏は、江戸時代の中期に入って修復されました。現在では、観光名所・鎌倉になくてはならないシンボルとなり、人々に愛されています。